医療従事者、産業医スタッフ向け



今月の現場から(保健師コラムリレー)

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~私と仕事と両立支援~

滋賀産業保健総合支援センター 長澤孝子

最近年のせいか、昔の事をよく思い出します。私が働く人を身近に感じて暮らしていたのは幼少時からです。育った家は家内工業の家が集まる田舎の集落で、映画「オールウェイズ三丁目の夕日」さながら、近所では、おじいさんが始めた自転車屋が息子の代に車屋になり職人を使うようになり、修理を終えた車におじさんは私を乗せて、近くの山の山道から頂上へと車を走らせます。途中、中腹でボンネットを全開して冷却しながら中を覗いて部品を確認するのです。
 家族だけで営むトタン屋さんは、大きな円形の米入れを作る時、鉛を溶かしてハンダ付けをしていました。鉛がチュルルッと溶けてモコッと膨らむと、それをコテで焼き付け、四角いトタンを円にしていきます。コテから出る煙は自然換気のみでした。
 鉄工所では鉄の溶接をする時、おじさんは顔面を鉄の仮面で覆います。目の部分は透明になっているため作業ができます。溶接の度にはじけ散る火花を横で見るのが楽しかったです。
 一番人がいたのは瓦工場で、盛時には何十人もの職人が働いていました。食事時には社長の家の和室が全て開け放たれ、最も上手(かみて)に社長の家族(近所の鍵っ子の私も仲間入り)、その隣に格上の職人さんから順に円陣を組み、ご飯の入ったおひつとおかずを囲んで自由におかわりをして食べます。しかし、決まってあらかじめお膳にご飯とおかずが並び、決められた量しか食べない住み込みの奉公人さん達がいました。私が社長の奥さんに尋ねると、「腹八分を覚えるまでは私の責任」と答えました。住み込みの奉公人さんは、盆正月に里帰りをします。社長の奥さんは、彼らの腹に賃金を厳重に巻き、手土産を持たせて駅まで向かい、電車に乗せたらすぐさま親に電話を入れて「何時何分にそちらの駅に着きます」と伝えて帰省を見届けていました。
 さまざまな思い出の中、私の脳裏に浮かぶのは、ただひたすらに働く人達の姿です。爪や指、顔を真っ黒にしながら働き、自分の仕事だけでなく、後輩や周囲の面倒も見る先輩達のやり取り、表情、息づかい、号令を、毎日見て聞いて後輩達は育っていきます。
 保健師学校を卒業してから自然に産業保健の世界に入ったのも、私の中に幼少時の働く人が生き続けていたことによるのかもしれませんが、社会人になってからもまた、働く人々によって私は育てられてきました。
 一部の人を除けば、働かなければ賃金をもらえず生活することはできません。しかし気力、体力、知力によってそこには自然と格差が生まれます。ただ、万全な人も万全でない人もいて当たり前であることがロボットではない人間の社会であり、今万全な人は配慮する立場になり、万全でない人はその配慮に答えて働くよう努めていました。また、目上の者は、皆の雰囲気、個々人の調子を見守り、声かけを怠りませんでした。
 そんな日本の良き時代、組織が両立支援を当たり前にやっていた時代に生まれてきた自分を幸せ者だと思います。今は遠い世界に暮らす全ての人にも「ありがとう」を言いたいです。